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パラリンピックとは

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障害者スポーツの祭典であり頂点であるのがパラリンピック!
パラリンピックは、4年に1度、オリンピック終了後にオリンピック開催都市で行われている障害者のための国際スポーツ大会で、"平行"という意味を持つ英語「パラレル」+「オリンピック」から命名された一大イベントです。
実はこのパラリンピック、世界で初めて本格的にこう呼び、開催したのは日本人だったんですよね。

時は1964年、そう、アジア初の五輪となった東京オリンピックが開催された年に遡ります。

実は、第二次世界大戦末期、イギリスには戦場で負傷し、重度障害者となった若い兵士たちが溢れかえっていました。
そんな彼らの治療と社会復帰への訓練、そして何より生きる希望を与えるために、ロンドン郊外にあったストーク・マンデビル病院では、車いすのままでも出来るスポーツが次々と編出され、入院生活の一環に取り入れられていきました。
今でも多くの障害者に楽しまれている車いすバスケやアーチェリー、ポロ、卓球などは、この時点で誕生した障害者スポーツです。

そして、同病院では、1948年の7月28日、ロンドンオリンピック開催の日に、院内でもう一つのスポーツ大会と称し、車いす患者によるアーチェリー大会を開催しました。
その後この大会は毎年開催される事となり、英国内の障害者たちの新たな希望と目標になっていきました。
そして、1952年には、それを知ったオランダが参加、ついに第1回国際ストーク・マンデビル大会となったのであります。
なんと、この時、もうすでに両国合わせて130名もの障害者が参加したそうですよ。

そしてそして、ついについに、東京五輪の1個前のオリンピックがローマで開かれた1960年、イギリス・オランダ・ベルギー・イタリア・フランスの西洋5ヶ国により「国際ストーク・マンデビル大会委員会」、通称ISMGCが設立されました。
でもって、オリンピック開催年に実施する大会だけは、オリンピック開催国でオリンピック終了後に実施する意向を表明。
同年、ローマで後に第1回のパラリンピックとなる国際ストーク・マンデビル大会ローマ大会が開催されたのです。

となると、その次の大会開催となるのは、当然東京五輪の予定されていた日本。
そこで、日本の実行委員会は、車いすを使用している肢体不自由者以外の障害者の参加も促そうと言い出しました。
そして、開かれたのが、後に第2回パラリンピックとなる「国際身体障害者スポーツ大会」。
この時、この大会は、第一部を車いすスポーツの大会とし、第2部を車いす以外の障害者スポーツの大会としました。
けれど、マスコミにしてみれば第1部だの、第2部だのと呼び分けるのは結構面倒なもの。
そこで、平行して行なわれる事となった2つの大会を総称して「パラリンピック」と呼称したのです。

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